クリエイティビティの教育に関する考察

クリエイティビティはどうすれば教育できるだろうか?

エーリヒ・フロムが言うように、教育には「機械のように考える人間を作り出す」という側面もある。機械のように考えるとはどういうことだろうか。同じ入力に対して同じ出力しか返さないということだろうか。それは確かに想像しやすい。学校教育では優秀だが、決まりきった反応しかしない退屈な人というのは存在する。そういう人の量産をしないような教育とはどんな教育だろう?

「正解が複数ある」「正解のリストに乗っていない正解を答えても構わないし、それは素晴らしいことだ」という教育が必要ではないか?解答ページに正解のリストだけが載っていて、その正解を選んでいなければ間違いだと言うのはおかしくないか?出題者の決めた条件に矛盾しないなら正解であるべきだろう?

教科書に書かれていることが唯一の真実であるという宗教洗脳を義務教育と抱き合わせにするのはやめるべきだ。教科書も人が作ったものなのだから、間違いがあるかもしれないと思うのが自然なはずだ。そう思いもしないのは教科書という聖典に対する盲目的な信仰が形成されている証拠だ。

他の人と違う答えを出すということに肯定的なインセンティブを与える授業があるべきだ。