マインドマップ日記7

普通に数式の変形などをしているとごちゃごちゃになる。それはまああらかじめ構造が見通せていないんだからそうなるのが当たり前なのだろう。

カラフルな記号での数式展開は、記号体系に慣れるコストとカラフルなペンを切り替えるコストを支払って、構造を見出すことのコストを下げることなのだろう。

こっちはまだ途中までしか描けていない。

「構造を見いだせているから適切な記号を創造できているのではないか、構造が見いだせていない状態では適切な記号を使うことができないのではないか?」「デファクトスタンダードである表現方法で表現しないことによるコストと、将来的にデファクトスタンダードプロトコルになれるために別途かかるであろうコストを支払ってなお採算の取れる行為なのか?」という質問には自明な解答はない。

まあでも前者に関しては「適当な記号体系で表現してみる」→「得られた知見をもとに記号体系をアップデートする」という繰り返しで収束しそう。そもそも最初はデファクトプロトコルで表現して、そこからオレオレプロトコルに変換し始めることもあるしなぁ。自然発生的なプロトコルには個体ごとに解釈の揺れがあるから、必然的に冗長性を避けられない。そこを圧縮していくことでよりムダのない記号体系になる。

後者に関しては、コストとベネフィットの定義次第だな。マインドマップを書く目的を「理解」だと答えるなら、その費用対効果について語る前に当然「理解とは何であるか?」っていう哲学的な問いに答える必要がある。かつて中学生の僕は知識を蓄え必要に応じて取り出せることが「理解」だと思っていた。しかしそれは間違いだと思う。その定義ならば検索エンジンに理解力で勝てる人間はいないってことになってしまう。一方で「知識を応用して新しいものを作れるようになること」は条件が厳しすぎると思う。「原発を作れないが原発の仕組みをわかり易く噛み砕いて説明出来る人」が原発の仕組みを理解しているかどうか、っていうとYESだと思うからね。僕にとって一番しっくりと来る「理解」の定義は「知識を、その入力のフォーマットとは違うフォーマットで出力できるようになること」なんだろうなぁ。そしてその定義ならマインドマップが理解の助けになるのは自明なのだ。