理解に関する考察

11月30日に「数式を含んだ論文を読んで理解するというタスクにも生産性向上の方法論があるのではないか」などと考えて書いたTweetを流れ去らないようにメモしておく。

数学は複雑に絡み合った知識の体系なので知性に高い負荷をかけ、そのため理解とは何か考える際の良い観察対象になる。複雑に絡み合った知識は一度に飲み込むことはできない。断片的にしかインプットできない。断片的な知識を取り入れた後、自分の中で再び結合して知識の体系に戻す作業が理解。

自然言語で書かれた文章は重要な内容が高頻度に出現する。しかし数学ではそうではない。式を再掲せず式番号で済ませる。頻出の操作も初回のみ記述して残りを省略する。操作をそもそも言語化せず操作前後の式を示すだけで済ませる。このように高度に圧縮されているので先に展開せねば理解出来ない。

省略された知識の発見、別の箇所で提示された知識との自分の中での結合、提示された知識からのメタな知識の発見=高い視点の獲得。メタな知識は、他の対象への応用性が高い。応用性の高いメタ知識を自分の中で創り上げること、自分の中での知識の結合と体系化が理解。

理解は予期せず起こる知識の結合。意図して起こすことができない。だから理解をTODOにすることはできない。また、理解できたという実感はよく間違っている。理解度はアウトプットの質でしか測ることができない。だから理解をゴールにすることもできない。