知識の体系について語り合った実験ログ

2015-01-28 19:07:58
彼> この会話で何が起きて欲しいですか?
僕> 知識の体系について何か新しい洞察が欲しい
彼> その新しについて、他に何かありますか?
僕> NGKW
彼> その洞察について、他に何かありますか?
僕> 哲学を学ぶことは人間の知性にとって負担が大きいわけだけど、人間の知性にとって負担の大きいものは一般的に、機械によって支援することで他の人よりも効率よく行うことができれば差別化になる
彼> その差別は、何のようですか?
僕> NGKW
彼> その負担は、何のようですか?
僕> 人間にとって計算が負担だったから計算機が生まれたように、哲学が負担なら哲学機が生まれるはず
彼> あなたはその人間をどう知るのですか?
僕> で、単なる検索エンジン以上のものを作ろうとすると、知識の体系を作る必要があって、それはどんなものだろうな、と。
彼> その検索エンジン以上は、どんな種類の検索エンジン以上ですか?
彼> その文字について、他に何かありますか?
僕> ない。で、そこまで考えて行き止まりになって、さっき逆から考えていた
彼> その行き止まりは、どのあたりにありますか?
僕> 何か哲学機なるものがあって、それがユーザにとって有益であるとするなら、それはどんな働きによって有益なのか、と。
彼> その哲学は、どこにありますか?
僕> ある意味哲学の商業的な位置づけだね
彼> あなたはその意味哲学をどう知るのですか?
僕> NGKW
彼> その位置は、何のようですか?
僕> 一つのとてもプアな価値提供としては、名言のアウトプットがある。
彼> その名言は、どんな種類の名言ですか?
僕> よく名言botがつぶやいたり、まとめサイトに集められたり、Facebookでシェアされているようなやつ。ああいうのを喜ぶ人間は結構な量で存在する。
彼> あなたが価値を感じているのは何ですか?
僕> もっとリッチな価値提供としては、盲点に気づくことがある。哲学の歴史は当たり前だと思い込んでいたことを本当にそうであるのか疑うことの繰り返しだったから、日常の判断においても、暗黙の前提に気づきやすくなる
彼> あなたはその盲点をどう知るのですか?
僕> すべてを疑えば割と簡単に見つかるが、それはコストが高い
彼> そのコストについて、他に何かありますか?
僕> 総当たりよりもコストの低いものを作るにはどうすれば良いかというと、過去のデータから探し物がありそうな場所を推定することになる。ビスマルクの「賢者は歴史に学ぶ」だな。
彼> その直前には何が起こりますか?
僕> それをやるためには、まず今の状況を調べ、それから過去に類似のパターンがなかったかを調べる
彼> 次に何が起こりますか?
僕> 類似のパターンが見つかれば、そちらでの解をこちらに持ってくることでこちらの解を見つける助けになる。そうか、これはアナロジーによる問題解決と同じ構図だな。
彼> その類似は、どのあたりにありますか?
僕> そう、類似をどうやって見つけるかぎ課題
彼> それから何が起こりますか?
僕> 文字列の類似を使って検索エンジンを作ったように、別の類似を使って別のデータを検索する検索エンジンが生まれる。
彼> その検索エンジンの時、類似に何が起こりますか?
僕> セマンティックウェブではなぜダメなのだろう…
彼> そのセマンティックウェブは、何のようですか?
僕> マインドピクセルとか、色々そういう「より良い形で知識の体系を作ろう」というアプローチはあったけど、あんまり成功していないのはなぜか
彼> そのマインドピクセルは、どんな種類のマインドピクセルですか?
僕> ユーザが知識を教えて行くことでコンピュータに常識を獲得させようというプロジェクト。結局のところ、常識を持ったプログラムに商業的価値がなかったのがいけないのではないか?
彼> あなたはそのプログラムをどう知るのですか?
僕> だから商業的価値を持った知識の体系を作らねば…となると哲学の体系より先に、例えばプログラムがうまく動かない時に相談できて解決の助けになるプログラムとかが必要なのか
彼> そのプログラムと、体系とは同じですか?違いますか?
僕> プログラムもまた体系なんだけど、その体系をいかに作るかという知識もまた体系をなしている
彼> その体系は、何のようですか?
僕> ネットワークをイメージすると、頂点と辺は明確に区別されるものだという前提をおいてしまうが、実際は辺もまた頂点になるし、辺は二頂点だけを結ぶものではないし、なんだろうなこれ
彼> その前提は、どんな種類の前提ですか?
僕> グラフ理論の意味でのグラフは頂点の集合と、頂点の対の集合なんだけど、これはかなり表現能力を失ってる
彼> 人間と検索エンジンの関係は何ですか?
僕> 人間が検索エンジンによって助けられる。人間の知性にとって膨大な情報を覚えて、すぐに思い出すことは困難だから、それを機械が肩代わりしている
彼> その人間と、困難とは同じですか?違いますか?
僕> 容易なことは十分に供給されて、市場経済の元では価値が下がるから、価値のあることは困難の中にしかない。人間は困難に取り組んでそれを困難ではなくすることで生計を立てている。
彼> その十分は何が起こるとよいですか?
僕> NG
彼> その困難は、どんな種類の困難ですか?
僕> 人間の欲求が存在して、まだ満たされていないところ
彼> その欲求は何が起こるとよいですか?
僕> 満たされると良い
彼> それには欲求に何が起こる必要がありますか?
僕> 欲求が変わるのではなく、欲求を持った人間が欲求を満たすために行動する必要がある
彼> その欲求はそれができますか?
僕> 欲求がすることではない
彼> あなたはその欲求をどう知るのですか?
僕> 一般論としては顧客にヒアリングしたり、市場をじっと観察したり。でも今回の場合は、僕自身の欲求でもあるからわかりやすい。僕はもっと色々なことを理解したいのだが物理的な人間の体にはインプット速度の上限があって行きているうちに学びたいこと全てを学ぶことができない。だから機械の補助によってもっと高速化する必要がある。
彼> 次に何が起こりますか?
僕> 学ぶ速度を高速化すれば誰よりも早く理解すべきものを理解できる
彼> あなたはその高速をどう知るのですか?
僕> 確かに、速度が何によって計測されるのかは難しい問題だ。読んだ本の冊数で測るのはくだらない指標だ。
彼> その冊数は何が起こるとよいですか?
僕> 近似としては、冊数が増えた方がベターではある。
彼> それにはその冊数に何が起こる必要がありますか?
僕> NG
(プログラムが暴走しました)