でかい声で騒ぐ人は必ずしも多数派ではない

http://news.livedoor.com/article/detail/4722420/

「ただ単に普通のドラマに『Twitter』を入れ込んだだけのドラマ」や「特に『Twitter』はかんけいないんじゃない?」
(中略)
ツイッターができることを、なんでそんなに人は自慢するの? できないことをなんで、そんなに下に見るの? 最初にツイッタードラマを書こうと私がしたときに そういう人が何人もいた」と発言。

他にも「ツイッターも知らないでツイッタードラマ。ツイッターを知っていることってそんなにすごいのか? というのが私の感想です。こんなのシステムじゃん。調べて勉強して慣れれば誰でも使いこなすでしょ。器械やシステムを使いこなすことが、エライ、と思うことってバカみたい」
(中略)
今後、『Twitter』ユーザーを含む視聴者たちが満足できる内容のドラマを展開させるこどできるのか? 気になるところである。

…いや、なんでTwitterユーザを満足させないといけないの?「Twitter」を「携帯」とかに置き換えてみればわかりやすい。携帯っていうコミュニケーション手段をストーリーの小道具に使ったドラマを作ったときに、なんで携帯ユーザが「こんなの俺の携帯の使い方と違う」なんて見当違いな批判をしたり、「携帯ユーザ達が満足できるような内容のドラマを展開出来るか?」なんて話になるの?

一般論として、でかい声で騒ぐ人は必ずしも多数派ではない。