「知識とは何か」ドラッカーのポスト資本主義社会を読んで考察

ドラッカー名著集8 ポスト資本主義社会第1章より

いまや知識とされるものは、それが知識であることを行為によって証明されなければいけない。今日我々が知識とするものは行動のための情報、成果に焦点を合わせた情報である。

「成果に焦点を合わせた知識」この「成果」ってのは何だ。お金か?

もちろんお金が得られない知識よりは、お金が得られる知識の方が「成果」を生み出しているだろう。でも、「お金に焦点を合わせた知識」と解釈すると大間違いだと思う。

なぜなら、お金は資本だから。「ポスト資本主義社会」たる「知識社会」では、資本よりも知識の方が成果に対する寄与が大きい。それがこの本で主張していることなのだから、ここでの「成果」ももちろん「お金としての成果よりも知識としての成果の方が大きい」と考えるべきだ。

知識としての成果の上げ方は大きく分けて二つある。

自分の知識の量を増やす

自分が知識を習得する速度を上げる知識、知識を新しく発見する知識、今は学ぶことができない知識を学べるようにする知識などなど。

まあ、たとえば英語の知識はあるのとないのとで読めるドキュメントのクオリティや新しさに大きな差が出るから、英語の学習、特に英会話じゃなくて英文の速読は知識の獲得速度に大きく影響する。

他人の知識の量を増やす

知識は個人に属する資産であるから、自分の中の知識を他人にコピーして分け与えると全体の資産は増える。つまり、教えることは資産の生産である。効率良く教える知識は生産の効率を上げる知識だ。


などと言うことを友達に話していて、「知識」って言葉がいくつもの意味を持っているから分類して別の言葉を割り当てた方がいいのではと指摘された。もっともだ。

  • ソクラテスの知識: 自分自身を知ること、自分自身を啓発することを目的とした知識 P.61
  • プロタゴラスの知識: 何を言うか、いかにうまく言うか、を目的とした知識。他人の自分に対するイメージを良くすることを目的とした知識。 P.61
  • テクネー(技能): ソクラテスの時代に知識だと考えられていなかった、何をするか、いかになすか、を目的とした知識。どうやって石を綺麗に割るか、みたいな。体系的に教えられず、見よう見まねや実体験で覚えるものだった。
  • テクノロジー(技術): 1700年ごろに発明された。百科全書など「知識を労働者に与えることで労働者の生産性を向上させること」を目的とした知識。知識が、労働者に与えることができる資源として認識された。労働者->生産性の高い労働者 P.36
  • 機械技術: 1776年のワットによる蒸気機関(特許取得)など。これにより「労働者+機械」という労働者単体よりはるかに生産性の高いシステムができた。機械を所有する資本家とそうでない労働者に大きな格差が生まれることが危惧された(マルクス) 人力機織り機を自動織機へ、水車を蒸気ポンプへ、と考えると「道具を改良することで生産性を向上させること」を目的とした知識と言える。道具->生産性の高い道具 P.38
  • 管理技術: 1881年、テイラーによる科学的管理法、1907年、フォードによるフォードシステムなど。「労働者の仕事を解析し、改良することで生産性を向上させる」ことを目的とした知識。仕事->生産性の高い仕事 P.43
  • メタマネジメント: 1950年頃、ドラッカーによるマネジメントの概念。ここまでのストーリーは「Xに知識を適用することによってXの生産性を向上する」だった。このXに生産性向上のための知識それ自体を代入する。「生産性向上のための知識を改良することで、知識の生産性向上を向上させること」を目的とした知識。知識->生産性の高い知識。