情報科学若手の会2012に参加してきました

情報科学若手の会2012に参加してきました。今年の招待講演はプロフェッショナルコネクターの勝屋久さんと、さくらインターネット代表取締役社長の田中邦裕さんでした。どちらもとても面白かったです。


勝屋さんの講演の「受けとめること」は、ごく最近「考えない練習」で「思考で思い込まずに目の前で起きていることをありのまま捉える」という考え方を学んだところだったのでとてもしっくり感じられました。普遍的なコンセプトは、異なる場所・異なる表現で何度も現れるものですね。

しばらく反芻した結果、僕の中でプログラミング言語にひきつけてこういう理解になりました。


プログラミングをしているとエラーメッセージがでることがよくあります。
プログラミングに慣れている人はそのエラーメッセージを「自分をバカだと言ってる」と感じたりとか、「コンピュータが言うことを聞いてくれない。忙しいのに!」と怒ったりとかしないよね。不慣れな人はそう感じることもあるかも知れないけど、エラーメッセージを何百回も見ているうちに、いちいち感情で反応しなくなります。エラーメッセージは状況を理解するためのヒント。


他人の行動も、同じようなもの。
他の人が「そんなことやっても意味がないよ」だの「そんなことも知らないの?」言ってきても、顔を真赤にして何か怒鳴ってくることがあるかもしれません。でも、それは「他人」というシステムがそういうエラーメッセージを出力しているというだけのこと。それに対して怒ったり落ち込んだりと感情で反応する必要はありません。


他人にかぎらず、社会もそうだし、自分自身もそうです。
自分が何かに怒りを感じたら、それは自分っていうクローズドソースのシステムが何らかの入力に対して警告メッセージをログに吐いたというだけのこと。その警告メッセージから何かを読み取って状況の改善につなげることができるかどうか、が重要なのです。


「先入観や固定観念を廃して目の前の人をありのまま受け取ろう」というメッセージも、デバッグで言うなら「このコードはこう動いているはずだ、なんて思い込むな」ということです。


翌日の朝早起きをしたら、たまたま散歩帰りの勝屋さんにお会いしたので色々お話を聞かせて頂きました。
一つはここの例えで言うなら「ログに出ている出力のすべてに対処が必要なわけではない」ですね。「ログに反応すること」が大切なのではなく「ログから何を読み取って改善につなげるか」が大事。

もう一つは、簡潔に言えば「『こうあるべき』という固定観念よりも、自分がどうありたいが大事」と要約できるでしょうか。妻とも以前この件について話していて、二人の間では「長子病」って表現されてます。長子なので親が「こうあるべき」を強く持っていて、それを感じた子供が喜ばれるためにその役を演じなきゃと思ってしまう。まだ治ってないんだなぁ、僕。
田中さんも社長になった際にプロフィール欄から「アニメ好き」を削ったエピソードを紹介されて、そうやって「自分らしさ」を歪めてもよいことはない、と説明されていました。同じ事なんだろうなぁ。


田中さんの講演では他には「自分では『こうありたい』と思っていても、自分のことはよく見えない。外れていることを突っ込んでくれる他者が必要」というところで眼から鱗が落ちた気分でした。

ここまで書いて疲れたので、とりあえず公開。

アルゴリズムの知識を覚えるのではなく、アルゴリズムを考える方法を学ぶ本として紹介されていた「アルゴリズムデザイン」を読んでみようと思った。

あと、ブレインストーミングは発散させるところばかりに注力しているから、それの収束にも焦点を当てている「ゲームストーミング」も面白そうと思った。