「勉強会の違和感」に感じる違和感

http://www16.atwiki.jp/tokoroten/pages/904.html

1000speakersはその辺が違っていて、圧倒的に価値の高い西尾さんとAmachangがトップに立つことによって、それに準ずる人たちが集まってくる。
そのため、西尾さんとAmachangには利益がないけど、その他の人には自分よりも価値が高い人が存在するという状態になるため、それらの人は大きな利益を受けることになる。

それは誤解以外の何物でもない。例えば今回であれば「へー、Curlってそういう言語なんだー。意外と使われているんだー。」とか「なるほど、OpenCOBOLでそんなことができるんだ!目から鱗!」とかあったわけだし、id:amachangFPGAの話にかなり関心を持って色々質問してたみたいだし。


しかし、こういう「僕にとって違和感のある考え方」が発生する理由にちょっと興味が出てきた。


もちろん色々議論をする上で物事をシンプルなモデルで表現することは必要だ。しかし「優れた人と劣った人がいる」という考え方は「人がある線の上に並んでいて、ある側に進むほど優れた人で反対側に進むほど劣った人」という数直線のモデルを使っているわけだが、これは正しくないモデル化だと思う。

まずはこの図を見てほしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Hasse_diagram_of_powerset_of_3.svg
これはブール束というモデルなんだけど、そんな名前はどうでもいいや。この図で一番下にいるφは、何も知らない生まれたばかりの赤ん坊。{x}はxだけを知っている人。{y}はyだけを知っている人、{x, y}はxとyを知っている人。

生まれたばかりの何も知らない赤ん坊は、たしかに知識の面では誰よりも劣っている。でも「英語の単語を多少知っていて日本語の単語はあんまり知らない3歳児」{x}と「日本語の単語を多少知っていて英語の単語はあんまり知らない3歳児」{y}の間に優劣はない。もちろん大人になって英語を勉強した日本人の中にはどちらの単語も知っている{x, y}に相当する人もいるだろう。その人はどちらの3歳児よりも知識の面で優れていると言えるだろう。

この図では「知ることの出来る情報」がx, y, zの3つしかないので、全部を知っている{x, y, z}って人がいるような気がしてしまう。しかし、現実には「人間が知りうる情報」はものすごく膨大だ。そして、人間という生き物は残念ながら、生まれてから1メガ時間以内に機能停止してしまう。頂上にたどり着くどころじゃない。

これが僕の考える「人間とその知識に関するモデル」だ。{a, b, c}の人と{a, e, g}の人の間に優劣はない。そして生まれたときは誰でも空っぽφであり、年齢とそれに伴う経験によって中身が増えていく。中身の数が多い方が優れていると考える人もいるだろうが、それは単に「年長者を尊重せよ」と言っているのと同じ。その考え方には半分同意する。年長者の方が僕よりもいろいろなことを知っているので、当然それは尊重する。しかし年長者が知らなくて僕が知っていることもあるのなら、自分が一方的に劣った存在だとは思わない。成人した人間はそれぞれ色々な経験を積んでいる物なので「誰かが誰かより優れている」なんて状態はごくまれにしか起きない。

「価値があると見なす知識」を絞り込むと、優劣関係が現れることがある。例えば僕の知識のうちPython関連の物をPで表現して{a, b, c, P1, P2, x, y, z}としよう。僕と同じ年で営業の仕事をしている人がいるとして、営業関連の知識をEで表現して{a, b, c, E1, E2, u, v, w}としよう。この二人の間には優劣はないのだが、もし話題をPythonに限定して他の知識を無視すると二人は{P1, P2}とφになる。これなら前者の方が優れているね。しかし逆に営業に関係ないものを無視すると二人はφ, {E1, E2}となって、今度は後者の方が優れているということになる。日常会話で人の優劣を語る場合、暗黙のうちにジャンルを何かに限定している。優劣はあくまでそのジャンルとどれくらいマッチしているかを表す値にすぎず、ジャンルの選び方によって大きく影響される。