Re: 「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点

合理的ADHDという人々 - ゆらのはてな日記経由で「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら

うーん。写真で例えるなら、撮影対象はとても面白いのに構図がダメな感じだ。いまいち関係のないものが入り込んでしまっている。目的が曖昧だと作業がはかどらないのは誰だって同じなんだから、ADHDの移り気と過集中について描きたいんであればフレームに入れるべきではなかっただろう。それから構図という意味では立ち位置の曖昧さもよくない。非ADHDの人にADHDの特徴を知ってもらうことが目的なのか、ADHDであることを自覚していない人に気づかせるのが目的か。前者なんだと思うんだけど、それであればADHDを美化し過ぎだな。「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる」はとても肯定的な表現だが「努力を積み重ねて成果を上げることができない」とよりあわせた縄のように表裏一体であって、本人もそれを自覚しているからこそ「いつまで経っても精神的な充足を得ることが出来ない」わけじゃない?


まあ、でも面白い文章ではあった。


そうか、なにに不快感を覚えたのかわかった。「短時間でそこそこ成果をあげられる」なんて思ったら腐敗が始まる。常に「ああ、もうちょっと早く着手していればあれもこれもできたのに」と精神的な充足が得られないまま走り続けなければいけない呪い。死ぬまで走り続け「ああ、もっと早く着手していればあれもこれもできたのにな」と後悔しながら死んでいく存在だということが全然伝わらないんだ。