ドラッカー「テクノロジストの条件」第1部 レバレッジメモ

テクノロジストは機械的な人工物が道具だとしがち。それは狭義に過ぎる。言語をはじめとする抽象的なコンセプトも道具である。 p.21

(かつて)科学は哲学の一分野であり、目的は知識の完成であった。それを利用することはプラトンの有名な主張にあるように科学の濫用であり、科学の墜落であった。これにたいし技術は利用に焦点を合わせていた。目的は人間の能力向上にあった。 P.46

技術革命は、アイザック・ニュートンベンジャミン・フランクリンの間の50年間のどこかで始まった

南海泡沫事件 - Wikipedia

(1720年)サウスシーバブル事件の時代には特許は独占として攻撃されていた。ワットが特許をえた1769年には技術の進歩を推し進める手段として認識されていた P.47

1780年ごろ: はじめての農業大学設立
1751年: 百科全書 - Wikipedia
1841年: ユストゥス・フォン・リービッヒ - Wikipediaによる化学肥料の発明

1776年、初めての鉱山大学設立。蒸気機関の使用の増加による現場監督の技術訓練ニーズの高まりが理由の一つ P.49

教訓として忘れてはならない。当時医学と呼ばれていたものはすでに敬意を払われる存在となっており、医学だけは18世紀にそのような転換を遂げるに至らなかった。 P.50

1840年、産褥熱の原因が伝統的な医療方法にあることを発見したイグナーツ・ゼンメルワイスは追放された P.51

誰もがIT革命ほど進行が速く、大きな影響を与えたものはないと思っている。しかしかつての産業革命も同様に速く、大きな影響を与えた P.56

(ポール・ジョンソンによれば)奴隷制の復活をもたらしたものは蒸気機関を手にした繊維産業だった。低コスト労働への需要の爆発的な増加により、奴隷の繁殖が最も高収益の産業となった P.57

1829年、鉄道の発明

競争はもはやローカルたりえず、あらゆる企業がグローバル化せざるを得ない。eコマースの時代においてローカルな存在はありえない。どこで販売するか、いかに販売するかは今は重要であってもあと20年もすれば意味を持たなくなる P.61

IT革命からいかなる新産業、社会制度、社会機関が生まれるかは分からない。1520年当時やがて世俗的な本が出現することなど誰も予想しなかった。1820年当時電報や写真や公衆衛生の出現を予測したものもいなかった。