ドラッカーのポスト資本主義:第4章「生産性」のレバレッジメモ

ドラッカー名著集8 ポスト資本主義社会の第4章「生産性」からのレバレッジメモ。

膨大な数のサービス労働者が、比較的低い技能と教育しか必要としない仕事に携わっている。サービス労働者の生産性が低い経済では、その生産性を大きく上回る賃金を支払うなら、結局インフレがすべての者の実質所得を引き下げる。そしてまもなくそのインフレが深刻な社会的緊張をもたらす。しかしサービス労働者が彼らの生産性に見合うものしか支払われないとすると、彼らの所得と恵まれた知識労働者の所得の乖離は拡大せざるを得ない。この乖離が同じく深刻な社会的緊張をもたらす。P.107

で、今日読んでいたイノベーターの条件—社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編))によれば

インフレか失業か: 従来失業は最も危険視されていた。高齢化社会ではインフレが最も危険視されている。インフレは年金に頼る退職者にとって最大の脅威である。50を過ぎた従業員にとっても将来の購買力が下がることは驚異である。この二つの世代を合わせるとすでに成人人口のほぼ半数に達する。しかも失業は退職者や中高年の就業者には脅威が小さい。 P.202-204

ということなのでインフレという選択肢も取れない。なので最低賃金を撤廃して生産性の低い人には低い給料を払うか、もしくは失業させるかしかない。そして格差が広がって社会的緊張がもたらされる。

だから生産性を向上しなければならない!

知識労働の仕事のすべてとサービス労働の仕事のほとんどは所与ではない。生産性を向上するためには「この仕事から期待すべきものは何か」と問う必要がある。この問いに答えるにはリスクを伴う意思決定が必要である。しかも通常、選択肢は複数ある。得るべき成果を明確にしない限り生産性の向上は望めない。 P.108

チームには3種類ある。
1: 野球型のチーム。選手のポジションは固定しており、自分の守るべき場所を守る。野球の選手には個人別の統計データがある。

バッターボックスでは一人。

2: サッカー・オーケストラ型のチーム。やはりポジションは固定しており、チューバ奏者はコントラバスを演奏しない。しかし、チームとして働く。

チューバだけ頑張って大きな音を出してもダメなんだよね。

3: ダブルス型のチーム。ポジションは固定しておらず、優先すべきポジションを持つだけ。必要に応じてお互いの弱みをカバーするように走る。

野球型チームは自分で状況から情報を得る。サッカー・オーケストラ型のチームは監督や指揮者から情報を得る。ダブルス型のチームは他のメンバーから得る

この辺の分類はいまいちピンとこない。以上P.108-112

成果に貢献しない雑用は意識的に排除していくことが必要。雑用の排除こそが生産性向上の最高の方途である。P.114
あらゆる活動について「本来の仕事か」「本来の仕事に必要か」「本来の仕事に役立つか」「本来の仕事がやりやすくなるか」を問わなければならない。答えがノーならそれは雑用である。独立した別個の仕事にするか、なくしてしまわなければならない。P.115

どこに書いてあったか忘れたが、病院の看護婦がやっていた掃除やシーツの洗濯や書類書きをアウトソーシングすることによって、なんか生産性が上がったって話を読んだ。

仕事については、仕事を行うものが誰よりもよく知っている。仕事の改善は仕事を行っているもののところから始めるべき。生産性の向上に関しては働くもの自らが責任を負ってマネジメントするよう求めることが必要。P.116

知識はその絶えざる変化のために知識労働者に対し継続学習を要求する。サービス労働者に対しても継続的な自己改善努力としての継続学習を要求する。しかも、生産性向上のための最善の方法は、人に教えさせることである。知識社会において生産性の向上を図るには組織そのものが学ぶ組織かつ教える組織にならなければならない。P.118

生産性の向上のための組織の改革が、マネジメントの階層のほとんどをなくすこと。オーケストラでは多いときには100人を超える音楽家がともに演奏する。しかしマネジメント、つまり指揮者は一人だけである。これからは業績に報いるのに、中間的なマネジメントへの昇進をもってするという伝統からの離脱が起こる。組織には今後、そのような地位はほとんどなくなる。

これは割と目から鱗だった。「マネジメントについて書いてある本」と言われるとほとんどの人は中間管理職が生きていくためのノウハウの本だと思うんじゃないだろうか。僕も最初はそう思っていたし、だからこそ自分にはドラッカーのマネジメントの本とか関係ないやと思っていた。そしてマネジメントとかやりたくないから誰かうまく自分をマネジメントしてくれないかなーなんて友達に話して「みずからマネジメントを学ばなければ、自分がうまくマネジメントされているのかどうかを判断することはできない」と指摘されてそれももっともだなと読み始めたのであった。そしてわかった。ドラッカーのマネジメントは中間管理職のための本ではない。彼は中間管理職はなくなると主張している。

サービス労働はアウトソーシングされるようになる。組織の価値体系の外にある仕事は、その領域からトップマネジメントへの昇進が不可能である。よっていかにコストがかかっていようともトップマネジメントの誰も十分な知識を持たない。病院は患者の治療を中心に据える。したがって建物の保守管理や事務作業はたとえ病院のコストの半分を占めていても注意を払われない。 P.120

これをメンテナンス会社にアウトソーシングする。

メンテナンス会社にとってメンテナンスの生産性を向上することは最大の関心事である

肉体労働者の生産性の急速な向上は、階級闘争という19世紀の悪夢を追い払った。そしてサービス労働者の生産性の向上が、知識労働者とサービス労働者の間の新たな階級闘争を回避するだろう。サービス労働者が十分な所得と尊厳を得られない限り、ポスト資本主義社会は階級社会と化す恐れがある。

ドラッカーのポスト資本主義社会第一部のレバレッジメモでも少し触れたが、マルクスが危惧した労働者対資本家という構図は、テイラーの科学的管理法の登場で

車体1台の組み立て時間は12時間半からわずか2時間40分に短縮され、年生産台数は25万台を超え、1920年までに100万台を突破した。//1914年には1日当たりの給料を2倍の5ドル(2006年の価値では103ドルに相当する)へと引き上げ、勤務シフトを1日9時間から1日8時間・週5日労働へと短縮する---フォード・モーター - Wikipedia

と崩壊することになった。さっきポストしたドラッカーのポスト資本主義社会のレバレッジメモ:組織とは何かでも書いた。当初「労働者の生産性<<労働者+機械の生産性」だったものが、知識による生産性向上の成果で「労働者+機械の生産性<<(労働者+知識)+機械の生産性」となった結果、知識を持った労働者と機械とは相互依存的な関係になり、マルクスが予想したような階級社会にならなかった。同様に今後発生しうる階級社会、格差社会に関しても、知識の力による生産性の向上が切り札になるだろう。