新卒準備カレンダー 2011春について

新卒準備カレンダー 2011春 : ATNDという面白げな企画があって、僕も参加しているのですけど、原稿を書いたり、他の人の原稿に対する反応を見たりして思ったことをTweetしたので、流れ去らないように転載しておく。

発信者が良かれと思って書いていることでも、それが受け手にとってもよいものである保証はない。極端な例としては発信者が宗教にハマっている時とかね。だから発信者は「よい生き方」を発信できているなんて思い込んではいけない。「よい生き方だと自分が信じている方法」と「その結果」しか語れない。

人生にはよい時も悪い時もある。世の中には人生を楽観している人も悲観している人もいる。ネガティブな感情になったときに、ネガティブな文章を書いて周りの人の感情をネガティブにする人もいるし、ネガティブな時には黙り、ポジティブな時に語りかけて周りの人の感情をポジティブにする人もいる。多様

読者のことを考えて原稿を書き上げたが、むしろ著者の側にもフォローが必要じゃないか?生き方に正解はないし、みんな一回しか生きたことがないから自分の見た世界しか知らない。なのに年齢差という免罪符があるから、欲求不満の中高年からの世の中甘くない的な反論の形をとった八つ当たりが予想される

どちらの意見が「一般に正しい」のかは、1回しか生きられない我々には判断不能だ。自分の周りの人がどうかってのも判断材料にならない。だってポジティブな人の周りにはポジティブな人が、ネガティブな人の周りにはネガティブな人が集まるものだから。しかしもっと簡単に判定できることがある。続く…

承前:人生についての意見は正しいかどうか判断できない。しかし「方法」は別だ。彼の意見に添えて「人生を良くする方法」が記述されているなら、それが正しいかどうかは自分で試して検証することができる。書かれていないなら彼の意見を根拠なく受け入れるか、根拠なく無視することしかしかできない。

参考文献