U理論を実践してみた日記

U理論によれば、新しい理解を結晶化するには、一度今までのコダワリを捨てることが必要。「自分は何にこだわっているのか」と内省したところ、やはり「本を読む以上はその内容を理解しなければならない」という点にこだわりがある。そこで、これを捨てて、中身を説明できないぐらいの速度で速読し続けたら何が起こるかを実験してみた。

その結果「理解度」に関する考え方が変わった。


「理解度」という概念は、いままで特に疑問を感じることなく使ってきた。しかし、理解度ってなんだろう?「本に書かれている情報のうち、理解できた情報の割合」だろうか?

この定義は有益ではない。まず、自分は「本に書かれている情報の総量」を知らないので、本の内容を100%理解してない状態で、自分の理解度がどれくらいかを知ることはできない。次に、時間をかければ掛けるほど高い値になる傾向がある。そして最後に「理解度100%」がかならずしも好ましい状態ではない。

仮に書籍の内容を完璧に説明できるようになったとしても、それは著者の劣化コピーになったに過ぎない。それだけでは社会に対して何の価値も生み出していない。新しい価値を生み出すには、よりわかりやすくするか、より短くするか、他のものと結合するか…が必要だ。書籍の内容を脳に入れることは価値を生み出すための準備であって、それが目的化するのはおかしい。

一方で「早く読みすぎて理解度が下がってしまった」などの表現は便利。ここで使われている「理解度」とはなんだろうか。ここでいう「理解度」ってのは「本に書かれている情報のうち理解できた量」ではなくて「単位時間あたりに得られた理解の量」だと考えるとよいのではないか。次々に新しい理解が得られる状況は楽しい。得られるものが少ないと楽しくない。しかし、例えば「何気なくパラパラめくっていたら、面白いことが書いてあった!」という状況では、得られた理解の書籍全体に対する割合はとても小さいけど、単位時間あたりではとても大きい。この状況は楽しいのか楽しくないのか?楽しいよね。だったら「単位時間あたりに得られた理解の量」の方が適切な尺度だ。

ところで、この「理解」という言葉も、もう少し明確化した方がよいだろう。書籍に書いてある内容を100%自分の脳内にコピーしても、それはそれだけでは価値を生まない。ということは「理解とは、書籍の内容を脳内にコピーすること」という定義は適切でないということだ。書籍の内容が役に立つのはどういう時か?自分が漠然と考えていたことが明確化するとか、自分の悩んでいた問題に解決の糸口が見つかるとか、自分の思い込みや間違いに気づくとか。つまり自分の中にあった知識と書籍に書かれていた知識とが結合した時ではないか?

「本の内容を理解する=本の中身を脳にコピーする」という枠組みに囚われていたのでは、ここで生み出された新しい結合には価値を見いだせない。「結合」は「本の内容」ではないからだ。

「理解度=単位時間あたりの結合の量」を増やすにはどうすればよいか?適切な速度で読むことはひとつの解決法だ。自分の能力に対して問題が優しすぎると退屈だし、問題が難しすぎるとストレスを感じる。フローはその中間にある。同様に、自分の能力に対して読書速度が遅すぎると分母が増えて理解度が下がる。読書速度が早過ぎると分子が減って理解度が下がる。適度な速度で理解度がピークになる。

ピークは事前の思い込みよりもだいぶ高速側にある。1日に数冊を読むことで、予期しない「本の間の結合」が見つかる。これは「1冊の本を読む」ことに囚われていたのでは実現できない。また、遅く読み過ぎた場合は時間を取り返すことはできないが、速く読みすぎた場合は時間を追加して読み直せば良い。損害の大きさから考えると時間を短くする方に賭けるべき。


以下、この1週間のFacebook投稿のうち、関係のありそうなものの抜き書き。

2014-04-10

U字の底の段階に入るには一度既成概念を手放さなければいけない。チクセントミハイのフロー状態とか、西田幾多郎純粋経験とかのような、判断を差し挟まずに問題と同一化している状態。それによって集まった経験がその次の段階で結晶化し、新しい理解が作られる。

U理論が面白い

2014-04-11

「ワーク・シフト」

今後予想される社会環境の変化で、働き方にどのような変化(シフト)が必要になるか、という話。

3つのシフトのうち1つ目は、連続的な専門性の獲得とそのセルフブランディング。単に「専門性の獲得」ではなく「連続的な専門性の獲得」であるところが重要。ある分野での専門性を獲得し、それの維持に時間を投入し続ける、という意味ではなく、異なる分野へ参入してそこで新しく専門性を獲得することが重視されている。

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203044530930735?stream_ref=10

速読に関する議論
https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203044647293644?stream_ref=10

2014-04-12

トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉」

「(改善したつもりが)改悪になったら、元に戻すのではなく、更に改善せよ」(元に戻すことは「変わらないこと」を肯定したことになる。改善し続ける企業文化を守るためにも、改悪は元に戻すのではなく更に改善せねばならない)

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203046208332669?stream_ref=10

「保育士試験合格テキスト 発達心理学 精神保健」

発達心理学の話はフォーカスは幼児期にあるけど、青年期〜老年期まで話題に上がっていて、そうか自分もまた「発達途上」なんだなぁ、と思った。

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203050077109386?stream_ref=10

2014-04-16

「FBIアカデミーで教える心理交渉術」 https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203072503070021?stream_ref=10
ジェフ・ベゾス果て無き野望」

交渉術の本の次に読んだのはたまたま本棚で隣に並んでいたからという理由だったが、読んだばかりの本に書かれていた交渉テクニックの実例が、全く独立したこの本にも何度も出現するのがとても面白い。

速読のメリットとして、1冊あたりのリソース(メモリ・時間)が圧縮されることによって、限られたリソースに複数の本が載るようになり、本をまたいだ関係性の発見がやりやすくなるのだな。

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203072788037145?stream_ref=10

U理論の、新たな概念の結晶化のために一度既存のものを手放す必要があるという話、要するに強化学習における探索と利用のトレードオフだ。今まで知っている中で最も良い方法ばかりを使っていたのでは、もっと良い方法に出会うことができない。しかし出会いを求めて新しいものばかり試していたのでは、良い方法を利用することでメリットを享受することができない。

「中身をしっかり説明できないような速度で読んで意味があるのか?」という過去の自分からの声を無視して、とにかくやってみてたんだけど、ボチボチ結晶化が進んできた。時間をかけてその本の内容を説明できるようになったからと言って、それに意味があるの?と問うべきだ。仮に書籍の内容を完璧に説明できたとしても、それがそれは著者の劣化コピーに過ぎない。社会に対して何の価値も生み出していない。

新しい価値を生み出すには、よりわかりやすくするか、より短くするか、他のものと結合するか…。理解度を高めることは次の一手のための準備であって、それが目的化するのはおかしい。

「知識の価値はそれを使うことで実益があるかどうかで決まる」というプラグマティズムの考え方からすると書籍を読んで「何を生み出したか」で読書の価値が測られるべき

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203077709640182?stream_ref=10

2014-04-17

「理解度」という概念は、分母に「本に書かれている情報」を持ってくると、
・100%理解するまで分母が不明
・時間をかければ掛けるほど高い値になる傾向がある
という点から不適切な尺度だ。

一方で「早く読みすぎて理解度が下がってしまった」などの表現は便利。このギャップはどうやったら埋まるかなと考えていたが、ここでいう「理解度」ってのは分母が「本に書かれている情報すべて」ではなくて「時間」だと考えるほうが適切なのではないか。つまり「単位時間あたりに得られた理解の量」ではないか。

「未来の学びをデザインする」225p 6min15

葛藤に学ぶことの意味が埋め込まれている

「フロー体験 喜びの現象学」p332 10min20

自分の能力に対して問題が優しすぎると退屈だし、問題が難しすぎるとストレスを感じる。フローはその中間にある。
豊かな土地に住んでいた民族の長老が、このままでは若者が駄目になると考えて、新たな土地へとの探索を始めた話、先日の「利用と探索のトレード・オフ」で、利用に偏っていたのでは探索ができない話と同じだし、ワーク・シフトで語られている第1のシフト、連続的専門家とも同じ。

この逸話は前に読んでいたのだが、昨日「利用と探索のトレード・オフ」について考えている時には思い出されなかった。脳の中で2つの知識の結合が行われるには、両方の知識が脳に記録されていることが必要だと考えていたが、長期記憶に載っていても思い出されなければ意味が無い。刺激によって長期記憶が思い出されて短期記憶に戻ってきて、そこで結合が行われる。この「想起」を行う上で、一度読んでいる本を高速に読み返すのは有益な戦略。

https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10203085743481023?stream_ref=10