新しいことを学びつづける運命

学び方を学ぶ --- 2011-05-14 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

良いエントリーなんだけど1点気になるところがありました。

常に新しいことを何らかの形で学んでいく事が運命づけられているのがIT産業なのかもしれない。

よく言われるフレーズではあるのですけど、これを読んで「そうか、IT産業は大変そうだからやめておこう」とか誤解する人が出てももったいないかと思いました。IT産業がすべて「学び続ける必要」があるのか?IT産業でなければ「学び続ける必要」はないのか?今日はそこのところについて書いてみようと思います。

まず、資本主義ってのはなんだったのかおさらいしてみましょう。例えば糸紡ぎの仕事は最初は家庭内で小さな紡ぎ車を回していました。しかし技術の進歩によって「もっと効率よく糸を紡ぎ出すことが出来る機械」が発明されました。家庭で人力の紡ぎ車を使って糸を作るよりも、その機械を使った方が生産性が高くなりました。でも、その機械は高くてみんなが買えるものではない。そこでお金持ち(資本家)が機械を買って、労働者はその機械のところに行って働くようになりました。機械の使用料として資本家にいくらか取られたとしても、それでも家で人力の紡ぎ車を使っているよりは生産性が高く儲けも大きかったのです。

要約すると、資本主義社会は「資本というリソースを生産装置に投資することでリターンが向上する」という状況で発生したのです。

さて時は現代、たとえばとあるサイトのためにJavaScriptでなんか書くという仕事を考えてみましょう。使っているパソコンの性能が同じであっても、知識の違いによって生産性や出来上がるものの質に差が出ることは明らかかと思います。(「えっ、ジェイク・エリーって誰?」って言っちゃうような人がどれくらいの生産性か考えてみましょう) つまりこれは「時間というリソースを生産知識に投資することでリターンが向上する」という状況です。こういう状況では知識に対して投資をした方が有利です。IT産業ではこういう状況が発生しやすいので、だから「常に新しいことを何らかの形で学んでいく事が運命づけられているのがIT産業なのかもしれない。」と言われるわけですね。

しかし重要なのは「IT業界であるかどうか」ではなく「知識への投資によってリターンが上がるかどうか」です。たとえばGoogleの中で本をスキャンする仕事の人は、IT企業の社員ではありますがたぶん知識への投資がリターンに結びつかないでしょう。一方、雑誌向けの原稿を書いているライターの人はIT産業ではないと思われていますが、エディタの知識やバージョン管理システムの知識によって生産性が向上するかもしれません。また、情報収集能力への投資はかなりの業界で生産性向上につながるのではないでしょうか?

業界を問わず「時間というリソースを生産知識に投資することでリターンが向上する」という状況が成立するなら、常に新しいことを何らかの形で学んでいく事が運命づけられているのです。それが今という時代なのです。


↑この知識はこの本で学びました

追記

@ymotongpoo IT業界でも勉強しないで生きてく事は出来るし、他の業界でも勉強する必要はあるでしょ。その業界で「デキる」ようになるかならねーかってだけで

たしかに。「学ぶことが運命づけられている」とか「学ぶべきである」って言ったのはミスでしたね。学ぶことによってリターンの向上が起こる状況下では、学ばない人と学ぶ人を比較した場合相対的に、学ばない人の生産性が下がり、社会的評価が下がり、賃金や待遇が下がる。これが避けられない運命だ、というべきでした。別にそういう社会状況でも学ばない自由はあるわけです。産業革命と機械化の時代にもそれに抵抗した人たちがいたように。ラッダイト運動 - Wikipedia