やる気が出ない人の心理学 レバレッジメモ

この本は人間の絶望・無気力・おっくうの原因の解説書ではない。無気力になる傾向を持つ人が、どうやってそこから抜けだして元気に生きられるかという本である。無気力になる傾向を持つ人には私も入っている。

この記事は筆者の『「やる気がでない人」の心理学』を読んだ際の読書メモです。

追記: このエントリーの内容を元に平均10問の質問に答えるだけであなたの状況に合わせたアドバイスをする人工知能を作りました。オススメです。



セリグマン本人が書いた本(の翻訳)としては世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生とかがいいのかな。




前回、同じ著者(加藤諦三)の不安のしずめ方 40のヒント(レバレッジメモ)を読んで意外とよかったので別の本を買ってみた。「やる気がでない人」の心理学

セリグマンの論文から引用しつつ、人間が無気力になる原因などについて解説した本。セリグマンの元々の実験の話が明確に書かれてはいないので(まあ読み始めにいきなり実験の設定とかが出てくると一般の読者は本棚に戻しちゃうって判断なのかな)詳しいことを知りたい人は「学習性無力感」を調べると良いかと。大雑把に言えば「逃げられない苦痛を体験した生き物は、逃げられる苦痛からも逃げなくなる」って感じ。

それから元々の実験が実験なだけに「過去に回避不能な苦痛を経験した人は無力感を感じるようになる」という論調だが、過去の経験は今から変えることができないから、本当に心の疲れている人がこの本を読むと「ああ、自分はそうだからダメなんだ、もうダメなんだ、無力感に汚染されちゃったんだ、一生やる気なんて出せないんだ、生きててごめんなさい」なんてドツボにはまりそうで危険だと思った。重要なのは犬も人間もそういうドツボにはまる性質を持っているって自覚して、やる気が出ないときには「ああいま自分は無力感にはまってるなー」と客観視し、「うまくいかないかもしれないけどうまくいくかもしれない」と肩の力を抜いて挑戦してみて、うまくいったときには「できたじゃん!やってよかったじゃん!」って自分を褒める、ということなのだと思った。

以下本文からの抜き書きなど。本には実例や例え話が多いけどそれは割愛。あと「鬱病」とか「神経症」とかの言葉が現代における定義とミスマッチだったりするので、「心の疲れてる人」って解釈するのがいいと思うな。

心の疲れている人はできるかも知れないしできないかも知れないことを、ダメに決まっていると決め付ける

不思議なことに、出来ることをしない人に限って、いつまでもそのことにこだわる

出来ることをする人は自立心が強い。ダメに決まっているとなにもしない人は依頼心が強い

そのうち誰かが解決してくれないかなー、運良く何かが起きて解決しないかなーと思っている。

「ダメに決まっている」という人は自分が事情に通じている人間であるようなふりをする。しかしその言葉はその人の無気力さを表しているに過ぎない。自分の無力さを合理化するために自分が人より世の中を知っているふりをする。しかし受身で依頼心が強くて、その結果自分が無気力であると公言しているようなものである。

行動しない人は行動することの無意味さを強調し始める…「ダメに決まっている」といえば行動をしないことのいいわけができる

将来が不安になるように自分を追い込む。自分の生活を良くする行動を一切しないで、不満だ不満だと嘆く。彼らにもチャンスはあった。しかし行動しなかった。チャンスを生かせないのは内面の問題であり、無気力である。無気力な人と行動する人の違いは、可能性を諦めるか諦めないかの違いである。

実行力のある人は、行動して駄目だったとき、可能性がなくなったときに諦められる。無気力な人は何もせずに「ダメにきまってる」と言いながら、いつまでも結果を受け入れられない

hopelessness: 逃避不可能なショックを与えたネズミは無気力になり、逃避可能なショックを与えた場合も逃げなかった。

あきらめてしまった人はチャンスが来たということを理解出来ない。チャンスがそこにあっても見えない。ランガー教授がmindfulnessという概念を出している。ひとつの視点からしか物事を見られないのがmindlessness、カテゴリーにとらわれずにいろいろのことを思いつくのがmindfulness。我々はあまりに多くの出来ることをしないままにしている。手段を思いつかなかったというだけでできないと諦めている。

身近なベンチャーの経営者って、トラブルを意外な方法で解決したり、僕が思いつかない解決策をポンポンと提案できたりするんだよねぇ。

セリグマンによると、子供は自分の脳力で不満を解決すると自分の脳力を信じられるようになる。自分にもできるという自身が湧いてくる

子どもに限らないかも。

「高い授業料を払ったよ」と言う。人に騙されて損をしたようなときである。損害を取り戻そうと戦わない人がいる。戦う前から戦ったって負けると決め込んでいる。そして損した、損したと嘆きつつ貴重な人生を悔やむことで浪費する。「高い授業料を払ったよ」というのは失敗を克服できない人が、自分の失敗を解釈によって価値あるものにしようとしているにすぎない。

「今からではもう遅い」 学生時代と違って社会人になれば時間に追われた生活の中で、十分な準備ができないまま行動をしなければいけない事態が起きる。そんな時に心理的混乱を起こすようではまともな仕事ができない

耳が痛い。

エリートサラリーマンをよく「ひよわ」と表現する。彼らは些細な失敗でやる気を無くす。十分に取り返せる失敗なのに「もうダメだ」と落ち込む。少しのハンディでやる気を無くす。ハンディを乗り越える気迫がない。

すっぱいブドウ。甘いレモン。失敗を失敗と認めることが苦しくて、他人の成功をけなしてみても、その人の心の底には自分の人生はもうどうしようもないという無力感が生じるのである

自尊の感情はどこから生まれるか。セリグマンいわく、自分が何を持っているかではなく、自分の行為が世界を変えるという経験をすることで得られる。お金があってもそれだけで自尊の感情が持てるわけではない。逆にだからこそ自己無価値感から目を背けようと豪華な車を買ったり高いレストランに出入りしたりする。豪華さを誇示する態度の中に彼らの欲求不満を見ることができる。

セリグマンいわく、自分の反応と無関係に起きるよいことは、無力感を生む。それは人生に幸福を約束しない。時にはそれゆえに自信を失う。

人生において一度も間違った判断をしない人がいれば、その人は一度も自分で判断をしなかったに過ぎない。

高い自尊心を持つ子供ははっきりとした判断基準を持っている。世の中には自分や他人を測るのに「あいつはスケールが小さい」といった曖昧な基準を使う人もいる。そういう人の自尊の感情は低い

英文が並んでいて、self-esteemってなってる。だから自己効力感と訳すほうがよいかも知れないけど、まあ読者が知らない単語だと思って噛み砕いてあるんだろう。(追記:自己効力感はself-efficacyなのでここはやっぱり自尊心という訳が適切なようです)

大きな家に住みながら不満を言い続けた夫婦の話。なぜ家を売って小さい家に移らなかったか?変化を恐れたからだ。家をかってローンの返済と首にされる不安に挟まれてノイローゼになったサラリーマンの話。なぜか?不必要に心配したからだ。心配はするが、首にされたときの準備はしない。家を売ったらいくらになるか調べない。Don't worry

「べき」という規範とか「実際の自分以上に大きく見せる気持ち」が状況を対処不可能にしてしまう。外国で活躍している自分という理想的自我に固執したため、こたえきれない他者からの要望押しつぶされてノイローゼになった。課題を抱えながら楽しく生きている人は、課題に失敗したときのことをそれほど恐れていない。失敗したことで理想的自我が傷つくことを恐れていない。頼まれたことをできなかったことで失望されることが怖くない。課題を抱えてストレスから生きるのが辛くなる人は相手から失望されることが死ぬほど辛い

バスカリヤ「人は心が病むと選択の幅が狭くなる」するとひとつの方法に固執するから状況は対処不能になりストレスに満ちてきてさらに心を病ませる。

親が色々要求すると子供は成長してもいつも他人から要求されているように感じる。そこで人と会うのが気の重い仕事になる

劣等感がある人は自分についても他人についても決め付ける。自分は欠点があるから人から好かれないと決め付ける。人は不安だとよく確かめもしないで決め込む。

絶望感がその人の他の能力を破壊する。幼稚園児に、解決可能な課題を与えて正解に報酬を与えた場合と、反応と無関係に報酬を与えた場合。その後、解決可能な課題を与えた場合の学習は、後者が一番遅い。何もしなかったグループより遅い。小学生が解決可能な問題と解決不可能な問題を別々の先生から課された後、解決不能な問題を出した先生が解決可能な問題を出した場合彼らは問題を解決できなかった。

年をとると能力が衰えると思い込んでいる。その無力感が能力を失わせる。

カレン・ホルナイいわく、自己蔑視した人は強迫的に名誉を求める

自分に自信がないから、誰かに「偉い」って言って欲しい。で、その偉そうぶる行動で逆に見下されたりして。「偉い」って行ってくれる人がいて自尊心が湧いてきても誰かがプシュッと穴をあけて膨らみかけた気球を潰してしまう。

自分が自分を好きになれなければ自信が出るわけがない。男として自信がある人はこの女に好かれなければという切羽詰った気持ちにはならない。自信のない人は好かれなければという不安に襲われる。好かれなければ自信喪失を悪化させる。不安な緊張や虚勢、男らしさの誇示に走る。結果、かえってその助成の前でいいところが発揮されない。人は好かれようという行為によって嫌われる。尊敬されようとするから自慢話をし、嫌われる。自然にしていれば欠点があっても好かれる。

劣等感。他人を恐れているがゆえに、他人の持っているものが素晴らしく、自分の持っているものがつまらなく見える。

mindlessness。自分の生き方を、自分の可能性を決め込みによって狭めている

自分で自分を決め付ける人は、他人も決め付ける傾向がある。「あなたは幸せだ」「あなたは親切だ」「あなたは苦労していない」逆にそういう決め付けに自分を合わせる人がいる。「私はそういう人ではありません」と言えないから悩むのだ。他人の期待に答えることが人生の目標になっている。理想像を押し付けられて迷惑だと感じない人は自己評価の低い人である。

カレン・ホルナイによれば不安の対処には3種類ある。その一つが迎合である。自己消滅型である。このような対処の結果人はhopelessnessになる。迎合する人は、迎合することしかできない。攻撃的になれない。引きこもれない。

急ぐ理由があって急いでいるのではなく、不安と恐怖に駆り立てられて急いでいる人は日常生活に消耗する。何もしないが疲れはてている人がいる。何に向かって急いでいるのかわからないのは、何に向かってもいない。ただ現状から逃げようとしている。

人の不満と受身の度合いは比例する。いろいろな企画をすると参加者はだいたい受身の順に不満が高い。

あるある。

逃避不可能な騒音を聞かせた生徒と、騒音なしの生徒と、逃避可能な騒音を聞かせた生徒、絶望感は嫌悪的でない課題の解決も遅延させる。逃避不可能な嫌悪的体験をすると、嫌悪的ではない日常のことにまで積極的ではなくなる。

これは恐ろしい。例えば家庭に逃避不可能な嫌なことをする人がいると、学校で勉強をしててもちょっと失敗したらダメだと思い込んでしまいがちになる。無力感は人生全体を蝕む病なのだな。

諦めることは無力感を強化する

行動しない人ほど推測や議論が好き。驚くほど議論をする。相手の意図を推測する。確認行動をしないで推測ばかりするから推測が度を越して裏の裏を考えるようになる。単純なことを推測によって複雑にしてしまう

人間はネズミと違って、欲求不満のままでいれば、楽しそうな人生を送っている人の不幸が生きる楽しみになる。人を妬み、人が不幸になることが自分の喜びになってしまう。

いるいる。たとえば2ちゃんねるにたくさんいる。

自分が欲求不満になったときに、脱するための努力を忘れてはいけない。変えることができないと決め込んではいけない。やってみてできないこともあるが、できることもある。

先生が不満だ、学校が不満だ、という。ではどこが不満なのか、と聞くと答えられない。このような不満を述べる人は解決のための行動を取らない。

だから不満があいまいなままだし、解決されないでずっと継続するわけだ。

逃避不可能な電撃を受けた犬は、競争をすぐに降りてしまう。

自分の基礎をつくる。自分の肉体を無視したり、酷使したりすることをやめることである。速く走れない、くらいところが怖い。それを受け入れる。「こうあるべき」からスタートするからストレスになる。「べき」を達成したときに自分は解放されると考えている。しかしその「べき」は非現実的な基準である。

現実的な基準を定めているつもりであっても、そこまで到達したらもっと先が見えて「あれもできるべき」って思うんだ。いつまでたっても自分が達成できたと思える時は来ない。

もっと身近なことに悩んでいるのに、直面することを避けて天下国家を論じる。だからいつまで経っても絶望感を克服できない。自分の隣人を愛することは大変だが、人類を愛することはたやすい。「人類に絶望した」は「私に失望した」の反映であろう。

自分への失望を抑圧しているから他人に対して高い基準を要求する。抑圧したものを他人の中に見つけてそれを非難することで、自分の心の葛藤を解決しようとしている